English

株式会社 大香

木々も芽吹いていい季節になった。
四月にはいると新茶の初摘みに向けてカウントダウンが始まる。
例年通り、八十八夜のお茶は逃さずに飲みたい。

春は、訪れるときは思わせぶりで、ちょっと顔をのぞかせてはまたいなくなったりと時間をかけてやって来るが、来たと思うとあっという間に爛熟する。
桜が咲いて、海棠が咲いて、連翹、水木、花蘇芳と、木の花が次々に咲いてめまぐるしい。
それに追われて気をとられていると、あっという間に四月も終わりに近づいている。
たいへんだ、八十八夜がもうすぐそこに。今年の八十八夜は五月二日。

こんなに新茶に執心なのは、お茶の国、静岡の生まれだからだろう。
こどもの頃からお茶は浴びるように飲んでいた。物心ついた頃には静岡を離れていたけれど、それで逆に新茶の季節に敏感になったのかもしれない。

五月になると、故郷のあちこちから新茶が送られてきた。
こどもにとっては一抱えもあるようなブリキの茶筒がドスドス部屋に並んでいて、私と兄は、次々にその巨大茶筒を膝の上に抱え、苦労して蓋を取り、顔を突っ込んでは新茶の香りを嗅いだ。
たまに、中のお茶っ葉をちょっと指につまんで食べたりもした。
ピカピカ光って針のように尖ったお茶っ葉。
味はよくわからなかったけれど、ふっくらと青々した香りはうっとりするほどだった。

巨大な茶筒は時代と共に姿を消したものの、実家への新茶の到来はずっと続いた。
亡くなった母の家の台所を片付けたら、美しくプリントされた小ぶりの茶筒が二十四も出てきた。
すべてカラ。
「新茶」「八十八夜摘み」「一番茶」「初摘み」などのシールが貼られたものがほとんど。
他の部屋の押入れも見れば、さらに見つかるだろう。

そろそろいつものお茶屋さんに予約の電話をしなければ。
茶筒じゃなくて、100グラムの袋に「八十八夜のお茶」のシールを頼むのも忘れずに。
何袋頼むか、それがモンダイだ。

絵・文 : 平野恵理子
1961年、静岡県生まれ、横浜育ち。イラストレーター、エッセイスト。
山歩きや旅、暮らしについてのイラストとエッセイの作品を多数発表。

小さな香り歳時記の目次に戻る