株式会社 大香

Essay 04 写真に写る「匂い」:野川 かさね

野川かさね Kasane Nogawa

写真家

 雨が降りはじめるほんの少し前。鼻や耳から湿気が漂って、体いっぱいにそれが染みこんでいく。
誰に言うでもなく声に出して「あ、雨の匂い」とつぶやく。
そして、胸いっぱいに空気を吸いこみ、吐きだした。
しばらくすると、本当に雨が降りだしてきた。
 雨の匂いが子どもの時から大好きだった。
その匂いのあとにやってくる雨そのものには憂鬱さや不安も感じるのだけれども、
それよりも自分の体で感じることのできた雨の気配に、
誰も知らない未来を知る預言者か何かのようなものになったような気がして、ワクワクしたのを憶えている。


 写真を撮るために山を歩きはじめたのは20代後半だった。
子どもの頃の山登りの記憶は小学校の遠足だけ、というまったく山と無縁の生活を送っていた私にとって、
山はとても刺激的な被写体だった。
最初こそは山の輪郭のような部分、つまり外から眺めた壮大な山の姿に目を奪われていたが、
次第にそこを歩き出合うもの―岩や樹、コケ、つらら、道標や山小屋などの人工物―へと目がいくようになった。
そういったもの一つひとつが「山」というものを作り出し、
それを採取= 撮影することで「山」というものの姿を浮かびあがらせることができるのではないだろうか。
そんなことを思うようになった。
それからは時間があれば山へ入り、山の欠片を集める日々が続いている。


 「歩き、出合うものをそのままその時の姿で撮影する」というスタイルで撮られた写真は
必ずしも晴天の山ということだけではなく、雨の日や曇天のものもある。
それどころか、私はむしろ、晴れた日よりもそんな天気の日に多くシャッターを切っていた。
霧や雲に覆われた一枚ベールに包まれたようなぼんやりとした山や山の欠片に。
 その写真を見た人たちは(山のことをよく知っている人ほど)「どの山なのか分からない、山が写ってないよ」と冗談めいて口にした。
「これは山の写真じゃない」と言われたこともあった。
その度に「これも山です」と強気で言い返してはいたが、
一人になると「なぜ自分は曇りの日や霧がかかる山の風景を好んで写真に収めるのだろうか?」とぼんやり考えることもあった。


 撮影の時の自分の感覚を探ってみる。
霧や靄、雲が山の樹や岩、土の匂いを含みながら、その空間全体におおいかぶさるような山の中での自分の感覚を。
そして、ふと気づいたことがある。
 その感覚は小さい時に感じた「雨の匂いが体に広がっていくこと」と、とても似ているのだ。
街にいる時には、雨の匂いは外から自分の中へと広がっていくと感じていたが、山では自分の外も中もわからなくなるほど、その匂いに包まれていく。
そして、いつしか自分とまわりの風景や世界との境目がなくなっていく。
そんな瞬間に私はシャッターを切る。
それは、この目の前の今だけではないもの、見えないけど感じる気配を写真に収めようとする行為だった。
小さい頃、預言者になったような自分にワクワクした時のように。


 私は写真を撮ることを生業にしているが、視覚に支配されがちな日常にはもうきっとずっと前から飽きてしまっているのかもしれない。
それでも、写真というものをこの世に生み出し、それを人に見てもらう限り、視覚だけではなく、その場所の匂いや気配、
そして見えなくてもあるもの、そのすべてを含み、嘘のないまっすぐな写真を撮影し続けていきたいと強く思っている。

文 : 野川かさね(のがわ・かさね)/ 写真家
日本大学大学院芸術学研究科修了。山や自然の写真を中心に作品を発表するほか、クリエイティブユニット「kvina」としても活動する。おもな著書・写真集に『山と鹿』(ユトレヒト)、『山と写真』(実業之日本社)ほか。